多彩な作風で知られるフランスの作曲家ジャック・イベールは、1890年にパリに生まれた。ピアニストであった母親は、幼い頃から音楽に親しむことを勧めたが、父親は彼に家業を継がせようとした。作曲を学ぶためにパリ音楽院に入学する頃には、父親から経済的な援助を打ち切られていたため、イベールはペンネームで伴奏者やポピュラー音楽の作曲家として働いていた。演劇をこよなく愛し、無声映画のピアニストとして演奏することもあった。第一次世界大戦時に徴兵され(そこで医療部隊に所属した)、彼の学業は中断された。幸いに大きな怪我もなく戦争を生き延び、1919年に帰還すると、作曲でローマ賞を受賞した。
ローマ留学中、イベールはフランス国内のみならず国際的に作曲家として認められることになる2つの作品を作曲した。それは『レディング牢獄のバラード』(1920年)と交響組曲『寄港地』(1922年)である。1927年には人気オペラ『アンジェリック』(Angélique)を成功させ、同世代のトップ作曲家としての地位を確立した。イベールはそのキャリアを通じて、オペラ、バレエ、映画、演劇、交響曲、室内楽、独奏楽器のための作品を作曲し、ほとんどすべてのジャンルを探求した。イベールはさまざまなスタイルや作曲家からインスピレーションを受け、ひとつの音楽の伝統に固執することを拒んだ。抒情性、皮肉、ウィットに富んだ彼の音楽は唯一無二でありつつも、主に折衷的な作曲家として分類されている。
イベールは生涯を通じて多くの管理職に就き、指揮も楽しんで行った。ローマのヴィラ・メディチにあるフランスアカデミーの音楽監督を長年務めたが、イタリアとフランスが戦争状態にあった第二次世界大戦により短期間中断され、彼の音楽はヴィシー政府によって禁止された。それにもかかわらず、彼はその地位を楽しみ、イタリアでフランス文化を熱心に伝えた。また、パリ・オペラ座とオペラ・コミックを短期間率いたほか、芸術アカデミーの管理職にも就いた。1962年、フランス音楽と文化に生涯を捧げたイベールはこの世を去った。
写真提供:Boris Lipnitzki / Roger-Viollet
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